風雲☆永田町

「政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら、堅い板に力をこめて、ゆっくりと穴を開けていく仕事だ」(マックス・ウェーバー)

「え、何も言わなかったの?」 菅氏の無言が安倍氏を動かす 政権交代全真相

 安倍晋三前首相の辞任劇の内幕がみえてきた。6月13日、安倍氏は慶応大学病院で人間ドックを受診した。このとき、難病の潰瘍性大腸炎の再発の兆候がみられたという。
 6月17日、自民党二階俊博幹事長が夕刊フジで名物コラム「風雲永田町」を連載している政治評論家の鈴木棟一氏と党本部で会った。ここでこんなやり取りが交わされたという。
 鈴木氏「あなたの本心は安倍続投だろう。だが、そうならない可能性もある。次は菅義偉官房長官(当時)が適任ではないか」
 二階氏「鈴木さんもそう思われますか」
 鈴木氏「どうだ、菅と会ってみないか」
 これを受けて7月1日、二階、菅、鈴木各氏に二階氏の「通訳」と称される側近の林幹雄幹事長代理による会談が行われた。ここではこんな会話が。
 二階氏「次はあんたしかいない」
 菅氏「…」
 菅氏は無言だった。これを聴いた安倍氏はいたく驚き「え、本当に?何も言わなかったの?」。菅氏はそれまで、首相就任について「考えたこともない。官房長官として政権を支える」と明言してきた。これが沈黙に変化したところで、安倍氏は菅氏は「意欲あり」と考えた。ここから、安倍氏が菅氏を次にと口説き始めた。
 期を一にするように、菅氏がメディアへの露出を活発化させ、安倍氏が7月21日の月刊誌「月刊Hanada」のインタビューで菅氏を「有力候補の一人」と持ち上げた。このころからすでに辞任ー菅後継は既定路線だったのだ。当時の今井尚哉首相補佐官安倍氏の辞任に強硬に反対したが、安倍氏は着々と準備を進めていた。
 8月28日、安倍氏は首相辞任を表明した。その夜、安倍氏からの禅譲を期待していた岸田文雄政調会長(当時)は、あろことか、総裁選のキャスチングボートを握っていた麻生太郎副総理兼財務相と不倶戴天の間柄にある古賀誠元幹事長と会ってしまった。麻生氏の岸田氏への支持意欲は消えた。
 安倍氏は岸田氏について、側近にこのように振り返った。
 「どうしてあそこで古賀さんと飯食っちゃうかな。センスがないよね。岸田さんは俺と飯食っているだけで、応援してもらえると思っていたのかな」
 翌29日夜、菅氏は衆院議員宿舎内の一室で、二階氏と森山裕国会対策委員長と会談した。二階氏は菅氏に総裁選出馬を促し、菅氏は「よろしくお願いします」と応じた。たちまち「菅氏出馬へ」というニュースが流れ、二階派、石原派、麻生派細田派と菅氏支持が雪崩のように起こった。
 劇は、幕が開く前に終わっていたのだ。